絶対的存在というエネルギー

ついに捕らえた気がしました。

 

「絶対的存在」という状態・・。

一族を人類を苦しめ続けてきた意識のパターン。

連綿と続いた先祖からの血の流れ・・。

 

ここ2ヶ月ほど、これを把握すべくいろんな現象が起きてました。

全てがサインだったんです。

 

いつだってサインは出ている、ということは分かっていたつもりでしたが、

謎が解けた途端に、

これまでの数々の奇妙な現象、気になる言葉、

訳も分からず頭の中が「?」マークだったことがフラッシュバックされ、

全ての点がつながり、一本の線になる感覚を味わいました。

これが「気づき」・・なんですよね。

 

「絶対的存在」というのは傲慢の窮み。

「我は神なり」という意識。

自分が頂点で他は下々の者。

これが大前提。

 

そしてここからが二手に分かれます。

一方はその大前提に従って、その通りの結果を出すべく、

他人には疎まれながらも、

あの手この手で、ある程度は形にしていきます。

 

力づくで・・。

地位や権力を取りにいくタイプですね。

 

もう一方は、その大前提を根底に根強く持ちつつ、

逆をやります。

 

多くの人は、この逆の方をより多くするようです。

逆というのは、その大前提を踏みにじられる方。

「惨め」になる方です。

 

「惨め」というのは、「傲慢」の片割れですね。

そんな位置に居たくないのに、末尾に座らされたり、

訳も分からず馬鹿にされたり、見下されたり。

 

大前提の「我は神なり」というエネルギーを持って、

それを自分では気づかずにやってしまうので、

悔しさは、筆舌に尽くし難い感情と感覚に見舞われます。

 

重症になると、

何をしても結果は「惨め」を強調する事態となり、

結果、動けなくなってしまいます。

 

時には前者を、時には後者を交互に体験し、

「孤独」に「怒り」、「他人のせい」、

「存在否定」に「絶望感」、「前に出れない」等・・。

たくさんの不調和な想いを創り出して、

私たちは絶望の淵へと転がり落ちていたのかもしれません。

 

心の奥でズキズキと疼くその痛み・・。

恐れず、自分を責めず、否定せずに

人類が脈々と受け継いできたこの意識のパターンを

見てしまいましょう。

そして、分かった方からもう手放していきましょう。

 

どうりで最近、

「織田信長」をテーマとしたテレビドラマや特集が、頻繁に流れていたわけです。

 

※ 織田信長は「我は神なり」の状態を象徴しています。