楽しい心理ゲーム

まったりとした暇なこの世を楽しくするものは

なんといっても「心理ゲーム」のようです。

 

私たちは脳下垂体を寝かせて、

肉体に受け継がれた情報からくる「感情」と「思考」のパターンが発動するスイッチを

日常の中に散りばめて、

来る日も来る日もそれら幾種類かのパターンのスイッチを入れては

まるでマリオネットのように操られて踊っているのかもしれません。

環境が変わろうが、時代が変わろうが、

ちょっとアレンジされてはいるものの、

よくよく見るとそのまんまの動きになっています・・・。

 

これらのパターンには

強烈な感情や出口の無い思考も漏れなく網羅されていますので、

私たちはこれらのパターンから来る感情や思考にどっぷりはまって

これが自分、これが運命、これが人生と思い込んでしまう。

 

そんなマリオネット状態では暇なので、

その強烈な感情の方を楽しむわけです。

 

感情の方のやり取りには肉体の危機感は作動しないのかもしれません。

結構ハードなやり取りが行われ、悲惨な結果にまで行き着くことも少なくないようです。

あるいは、自分には勝てないと感じた方が相手の配下に下り、

逆らえないパターンを作ってしまうと

ことは穏便に収まります。

 

そうやって「勝者」と「敗者」のパターンを作っていきますが、

いつの世も上には上がいるので、

かなり多くの方がこの「敗北」と「犠牲」、「かわいそうな私」を繰り返し、

だれのための人生なのか、自分の存在価値はどこにあるのか、

到底分からない状態で

時には他者の上に立つために心理ゲームを仕掛け、

時には他者の心理ゲームの餌食となっているようです。

 

もはやこの心理ゲームそのものが誰が誰に発したということではなく、

集団の心理パターンの一つとして巷をさまよい、繰り返されます。

まるで人生の一番の楽しみででもあるかのように・・・。

 

でもこれからの時代は、

「勝者」であるのか「敗者」であるのかということはどうでもよくて、

自分が「どうしたいのか?」というシンプルなテーマを

それぞれが追求することが重要になります。

それが新しい秩序であり、

人と人との関係性を整え、満たしながら

自由を拡大させていく進歩の道なのかもしれません。

 

心理ゲームはどこまでいってもゲームでしかありません。

暇つぶしで自分を自由の道から遠ざけるのも

もったいない話かもしれませんね。

 

でも、あくまでもご自由に・・。

どうせするなら、自覚しながら楽しんでやって下さい。